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2005年12月02日

●カタワ

片輪(カタワ)…車の片方の輪。 
三省堂提供「大辞林 第二版」より

普通に「カタワ」と言うコトバを辞書で引くと大抵上の意味での「片輪」になるが
ここでの「カタワ」は「片端」の方を意味する。
しかし、ここでは「片輪」と書くことにしよう。

意味は「不完全」、「欠点」、「欠陥」を指す。
差別用語であり、放送禁止用語である。

障害者に対しての揶揄で使用される事が多かったこの言葉。
一般的な人間から見て、欠けている、劣っている…etc。
目に見える形での、容姿を「片輪」と言われ続けてきた彼等。
少し他と違ったと言うだけで目に付いたと言うだけで「片輪」と呼ばれる存在達よ。

しかししかし、ここで少し考えてみよう。

「片輪」とは、容姿だけで判断できるのだろうか?

例えば…渋谷、原宿、池袋でケータイ片手にダベってるアh 若者達。
働きもせず、夢を見てソレを叶えるべく奮闘する事もせず、ただタダ、生きているだけの彼等。
社会から見れば穀潰し、立派な「片輪」では無いだろうか。

電車の中で席を一列占領して寝そべってるDQN。
車中で構わずケータイで通話をするババァ、ジジィ、女子高生、糞野郎。
路上に平気で痰を吐くヤツ、ゴミを捨てるヤツ、吸殻を捨てるヤツ。(煙草を吸うヤツも同類だけど)


見れば見るだけ、探せば探すだけ、世の中ってヤツは、「片輪」に溢れている。


…言うまでも無いお話しだけど
これは主観から見ての「片輪」である。
もしも、コレ等が全て社会の常識とするならば…答えは一つしかない。

漏れなく自分が、自分こそが彼等からして見れば「片輪」なのだ。

世の中、とか、社会がー、とか言ってる時点で気が付いた方がいいのか。
タダの歯車である、自分が、社会を語るとは痴がましい。

もし…自分の立っている地点が"まだ"所謂「一般的な社会」と言うのなら…
自分自身はその主観から見た社会からして「片輪」であると断言できる。

…だって、ほら、もう引き返せないところにいるヲタだし…。


とどのつまり、カタワだ片輪と叫んだところで自分が既に片輪であると気付きなさい、と。
お後がよろしいようで。